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執筆者の写真T-wai

土谷家

更新日:2021年4月9日


去る3月17日、陽子の父 土谷虎雄が満91歳で永眠した。

義父は3月初めから肺炎のため富士宮市立病院に入院していたのだが、このコロナ禍で面会は禁止、陽子と僕もその数日前からPCR検査を受け二人とも陰性結果を持って富士宮を訪れていたのだが、、、結局面会は叶わないまま帰らぬ人となってしまった。

葬儀に際し、あまり湿っぽくならないようにと陽子の弟一家(孫一同)が総出で、まるで文化祭のように写真の飾り付けやDVD上映の準備などをし、僕も葬儀のシーンに合わせたBGMの選曲を担当することになった。

♫義父の所有していたクラシックCD全集の中から静かめな曲を選び(画像は11年前 T-waiが制作した記念DVDのサントラ盤)


アンドレ・ギャニオン⤵️

や ロジャー・ウィリアムスのピアノ曲などを織り交ぜて構成。





土谷虎雄(以下敬称略)は昭和4年 富士根村(現富士宮市)で代々村長を務めた土谷家の

10人兄弟4男として生まれた。戦時中は志願兵として出陣~神戸に配属されるが間も無く終戦となった。(特攻兵にならずに済んで本当に良かった泣)


戦後は静岡県職員となり、幸江母と結婚。

めでたく長女の陽子。弟で長男の公二誕生~



陽子は東京で音楽の道に進み、僕と出会ったのでした。





県職員定年退職後は地域の町内会長~区長を経て、富士宮市議会議員選挙に出馬。

以来、地域の人々の熱い支援を受け4期16年間、市政に貢献した。

陽子はウグイス嬢として、僕もお手振り隊として参加した選挙運動は今となってはとても懐かしい思い出。


地方自治功労により2009年 皇居にて「旭日双光章」を受賞。



何事においても人のために行動することを使命とし、多くの人々の要望を叶えてきたその功績は勲章となり今も土谷家に飾られている。





春の嵐の中、現富士宮市長様初め多くの方々にお集まり頂いた通夜〜

告別式では孫代表で土谷健斗くんのお別れの言葉、

陽子はお別れの言葉とアカペラ(上を向いて歩こう)、

親戚代表として土谷家の末子 高稔 叔父様が謝辞、、、を表明した。




全ての葬儀が無事終わり帰宅。

リビングで虎雄さんの遺影を囲み記念撮影。みんなよく頑張ったー


史上最速で桜は満開に。



お義父さん、長い間お疲れ様でした〜〜〜

よく家族で旅行しましたね。僕の運転でクラウンが目的地に着くと、曲がった事の嫌いなあなたは駐車場で降りたあと、「たかしくん曲がっとるぞ~」と車庫入れのやり直しさせられましたっけ〜苦笑〜




本当の優しさとは何か??? 

無償の愛の尊さ、、、


あなたと出会えて僕の価値観は大きく拡がりました。。。

大切なことをお示しいただき本当にありがとうございました! 

これからも天国から見守っていてください。


たかし



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